2020/7/1

 

 


「なに青い顔してんだよ」

「いやなんか、おれの人生、先週とはだいぶさまがわりしちゃったなあと――」

「感謝しろよ」

「え、なんで?」

「しょうもないおまえのその、さみしい人生、がらっと華やいだわけじゃん」

「はあ?」

「生きる張りあい出てきたろうが」

「ちょっとなにわけわかんないこと言ってんすか」

 口ではそう応じつつも、一瞬ハナコ《﹅﹅﹅》の顔が頭をよぎって一理あるのかもと納得しかけてしまう。しかし即、いやちがうだろと横口健二は考えをあらためる。

 ハナコ《﹅﹅﹅﹅》との出会いはともかく、北朝鮮高官よりの暗殺指令やら巨大暴力団組織の内紛やらに関わるくらいなら孤独のほうがましに決まっている。

 あいにくこちらはそれらを同時に楽しめるほどおつむがいかれちゃいないしそんな器でもない。おまけにいずれも自分ひとりの力でどうにかなることでもないので張りきりようもない。

 そう思い、横口健二は溜息をついてしばし黙りこむ。

 するとそれを見かねたのか、運転席から励ましとも叱責ともつかない発破が飛んできた。

「つうか別に、おまえがやべえことになってるわけじゃねんだから、いちいちしょんぼりすんじゃねえようっとうしい」

「やべえことになってますってば。ほんとに目ん玉くりぬかれる寸前だったんですよ? あのままいってたら絶対に殺されてますよマジで」

「でも助かってんじゃん」

「今回は運よく沢田さんに助けてもらえましたけど、近々どっかでまた襲われたりとかするかもしれないじゃないですか」

「ねえよ」

「なんでそう言いきれるんすか、どうなるかなんてまだわかんないのに」

「わかるっつうの」

 

 

「適当なこと言わないでくださいよ」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃうるっせえわ。ひと殺すのだってただじゃねんだよ。だれが好きこのんでおまえなんかのために無駄なコストかけるっつんだよ」

「え、どゆこと?」

「やべえことになってんのはピンポイントでねらわれてるハナコ《﹅﹅﹅》とおれのほうで、おまえは端からカウントもされてねえっつってんだろうが。田口のアホが勘ちがいしたせいで、おまえはたまたま拉致られたってだけの話じゃねえか。そういうなんの価値もねえやつ殺しちまったら無駄にコストかかって割にあわねえわけ。その程度の計算もできねえバカじゃこのご時世ヤクザやってけねんだよ」

 言われてみればそのとおりかと悟り、横口健二は申し訳ないような心地になる――加えてこちらが想像している以上に、沢田龍介の立場は盤石とは言えない現状なのかと心がざわつきだしてしまう。

「田口っていうんですか、あのスキンヘッドのひと」

「ああ」

「あのあとどうなったのかな」

「なにが?」

「いやその、田口ってひとが」

「なにおまえ、仕かえしねらってんのか」

「ちがいますよ。七三わけのひとに金属バットでめった打ちにされちゃってたみたいだから、あのあとどうなったのか気になったんです」

「天知な」

「天知? 七三わけの?」

「ああ。そいつ電話してたろ? めった打ちの前に」

「してましたしてました――あ、そうか、あの電話って沢田さんだったんですか」

「あんときおまえどういう状態?」

「椅子にテープで縛りつけられて、ぜんぜん身動きとれない状態ですよ。しかも唐辛子の粉どばっと顔にぶっかけられちゃって、目とか鼻とかにまで入ってきちゃってもうひどいなんてもんじゃない――」

 こりゃ痛快だわというふうに、沢田龍介は「うははは」と大声で笑いだした。ひとしきり放笑したのち、「だったらもうちょい電話すんの遅らせりゃよかったわ」などと言いそえると、つられて脳裏に浮かんだイメージにくすぐられたみたいに彼はさらなる笑いをもよおしていた。

 

「スキンヘッドの、田口さん、死んじゃったんですかね」

 水をさすつもりで言ったわけではなかったが、横口健二がそうぽつりともらすと運転席の笑い声はやんだ。

 田口なる兄弟分と沢田龍介のあいだでどういう揉めごとが生じ、どのようにやべえ状況にいたったのか大いに興味をそそられるが、そこまで首をつっこんでしまってよいものかとためらいもおぼえている。慎重に回避してきたはずが、気がつけばまた裏社会の泥沼へつまさきをひたしかけているというのは危険な兆候だ。

「唐辛子のせいでよく見えなかったんです、めった打ちのあとどうなったのか」

「そら死んじまったろ」

「やっぱそうすか」

「めった打ちだったら死ぬわな」

「はあ、聞きたくなかったな――」

「てめえで訊いといてなんなんだよそれは」

「はあ、すみません。いやでもね、よく見えなかったっつっても目の前でひとが殺されてるわけで、なんつうか、気が滅入っちゃいますよそれは」

 その返答に対する反応か、あるいは一連の事実にいらだっているのか、沢田龍介は聞こえよがしにちっと舌うちして口をつぐんだ。

 グロリアのヘッドライトが照らしだす車道の風景をにらむように見つめている彼の目つきはやけにけわしい。

 しばらくして、横口健二はおそるおそるこう問いかけてみる。

「――それにしても沢田さん、どうやってあの天知ってひとまるめこんだんですか?」

「まるめこんでなんかねえよ、田口が墓穴ほって自滅したってだけの話で」

「でもあの天知ってひと、電話でしゃべってる途中いきなり考え切りかえたみたいに見えましたけど」

「おれの電話がきっかけで田口の噓がばれたからだろ」

「噓?」

「噓は契約違反でいっぱつアウト」

「スキンヘッドのひとが、七三わけのひとに噓を教えてたってこと?」

「そう」

「ばれたら金属バットでめった打ちにされちゃうって、どんな噓だったんすか」

 

 

「おれと揉めてるってことを隠してたらしいな田口は。それ電話ではじめて知らされて、最初の説明と辻褄あわねえってなって天知はキレちゃったんだろ。せめて金とってからやりゃいいのに、あいつも頭おかしいからな」

 むろん噓はまずかろうが、たったそれだけのいつわりでめった打ちなのか。反社会的なひとびとの流儀とはいえ、なんとも理不尽きわまりない現実に放りこまれてしまったものだと横口健二はあきれるしかない。

 が、裏社会の力学というのはそもそもそういうものかと想像できなくもない。メンツや信用の問題が生き死にに直結してしまうのが極道世界の慣習だとすれば、口約束くらいの簡単なとり決めであっても軽視は許されないのだろう。

 それゆえ掟やぶりをいっぺんでも見のがせば、弱腰のレッテルを貼られて同業者はおろか身内にすら見くだされてしまうのかもしれない。なめられたらおしまいなのがヤクザ渡世であるからには、だしぬこうとした相手に対する寛恕はご法度であり、むしろ徹底的に罰しておかねばみずからの身があやうくなるということか。

「沢田さんが前に言ってた、下手うったヤクザが入れられちゃうとこって、あの収容所みたいな廃病院のことだったんですか?」

「ああ」

「ほんとにあったんですね」

「あたりめえだろ、ガキのしつけで言ってんじゃねんだよ」

「ここはビジネスでやってるんだみたいな話が出てましたけど、ほんとなんですか?」

「伊達や酔狂であんなのやると思うのかおめえは」

「いや、そんなことはないですけど」

「じゃなんなんだよ」

「あの病院、おれのほかにも一〇人くらい捕まってるひといたんですよ。なんか拷問が見世物みたいになってたんで、悪趣味なビデオとか撮ってたりもするのかなって気がして」

「そらやってるわな」

「だったらカメラも置いてあったってことか、びびりまくってたんでわかんなかったな」

「そのうち唐辛子の粉ぶっかけられてあたふたしてるやつの動画がネットに出てくんだろ。それ観てどこにカメラあったかチェックしてみりゃいいじゃねえか」

 

 ふたたび運転席で「うははは」という大笑いが起こり、助手席との温度差がひろがる。ご機嫌のくまモンがおちつくのを待って、横口健二はもとの話題にひきもどした。

「そうすると、仕事を頼むほうは金はらって気に入らないやつを拷問してもらうってことなんですか? で、その様子を撮影したビデオを売ってもうけるのが天知さんのビジネスってこと?」

「肝心なのが抜けてるわ、金はらって拷問で終わりだったら変態しか客いねえだろうが」

「肝心なの?」

「隠しごと白状させなきゃ意味ねえだろっつってんだよ」

「ああ、そりゃそうか」

「拷問だろうが殺しだろうが、そうする価値もねえやつにコストはらってらんねえだろ」

「でも、それって自前でやるもんなんじゃないんですね。なんつうか、その筋のみなさんはてっきり――」

「ヤクザは自前で拷問して白状させてなんぼだろって言いたいわけかてめえは」

「いや、なんぼだろなんて言いませんが、でもまあ、そういうことなのかなと――」

「気合はいった野郎からマル秘情報ひきだすのは時間かかるしえらい手間なわけ。さらってきたやつ事務所かどっかに閉じこめて、そのたびぶん殴って血だるまにしてしゃべらせてたら、あと始末だのなんだので時間も金もとられっから自前じゃなるべくやりたくねんだよ」

「そういうもんですか」

「しち面倒くせえのは専門業者にアウトソーシングできりゃそれに越したこたあねえなってだれだって思ってんだろ。つうわけで、天知が経営破綻した病院ひきとって、業界ぜんたいのニーズに応えてローンチした代行サービスがあれなんだよ」

 ITベンチャー立ちあげの経緯みたいな説明をされてしまったが、それを聞きおえた横口健二の返答は「なるほど」のひとことにつきた。ヤクザが拷問を業者に委託とは意外な話ではあるものの、コスト削減と効率化の波は今やあらゆる業界へおよび、極道の世界も例外ではないということなのだろう。

「沢田さんは、天知さんのお得意さんなんですか?」

「なんで?」

 

 

「いや、電話いっぽんでおれの解放OKしてもらえたくらいだから、そういうことなのかなと。田口さんが支はらうはずだった分、おれを拷問したビデオ売っていくらか回収することもできたかもしれないのに、一銭もはらわずに外に出してもらえたってのは、沢田さんが上得意の顧客だから特例で認めてもらえたのかと思って――」

「健二」

「はい」

「ヤクザがからんでんのにただでかたづく話があるわけねえだろ」

「え?」

「おれが立てかえてやってんだよおまえの分を」

「おまえの分て、おれのなにを?」

「金に決まってんだろ」

「おれの身の代金てこと?」

「つうかな、おれが電話で天知に田口の倍はらうっつったから、おまえはそんとき唐辛子どまりで済んだわけ」

「え、でも、田口さんが噓ついてたから契約違反でアウトだったんだって――」

「だからあいつは金属バットでめった打ち。それとおまえをどうすっかはぜんぜん別の話だから」

「なに、それじゃ、田口さんが支はらうはずだった代金の倍額、沢田さんが肩がわりしてくれたから、おれは無傷で解放してもらえたってことなの?」

「ああ」

「で、その金は、自動的におれが借りたってことになってるわけですか?」

「ってことになってるじゃねえだろ、事実それはてめえのために使った金なんだから」

「あ、そうなのか」

「そうだろうが」

「なるほどそういうことなのか――」

 有無を言わさずまた借金を増やされてしまったようだが、その具体額はあえて訊かないことにする。額を知ったらあれこれ考えて頭のなかが悲観で埋めつくされてしまうので、まずは意識をいったんよそへ向けておくのが望ましいからだ。

 しかしよそ見どころか、反対に金のことしか思いうかべられなくなった横口健二は数分おきに溜息をくりかえしてしまい、うっとうしいからやめろとくまモンに怒鳴られつづけなければならなかった。

 

 

 

 白馬荘の前に到着したのは午後九時半をまわった頃だ。ハナコ《﹅﹅﹅》の顔を見がてら部屋でひとやすみしていってはどうかと勧めてみるも、新潟のヤクザ者は東京でのんびりしている暇などないという。

 運転中、面倒くせえことになったわと何度かつぶやいていた沢田龍介の言動からは、田口なる兄弟分の死が今後もたらす悪影響を憂慮しているのがうかがえた。拉致され拷問されかけたばかりの末端関係者にとっても、それは気がかり以外のなにものでもない。

 組織内紛の現状に不吉な見とおしがあるのなら、ほかにどんなリスクが隠れているのか素人にも教えてほしいものだと思う。

 今さらそれに無関心をよそおってもいられず、横口健二はわが家を目の前にしつつも路駐した車内にとどまり、三次団体会長にどうなっているのだと率直に訊ねてみる。が、運転席からかえってきたのはこんなお小言のみだ。

「わきまえてや健二くん、そらおまえが首つっこむことじゃねんだよ」

「でも沢田さん、さっきの話にもどりますけどね、やっぱり近々またなにか襲撃みたいなことあるんじゃないかって心配が――」

「だからんなもんねえし、おめえは勘ちがいで拉致られただけだっつってんだろ」

「おれ自身はカウントされてないってのはもちろん理解してますよ」

「してねえだろうが」

「してますって。沢田さんのほうには気軽に口外できない複雑な事情とかもきっとあるんだろうなって想像もしてますよ。でもね、どこでどうつながったのかは知りませんけど、今間真志って名前まで出てきちゃってるわけで――」

「それもあのアホの勘ちがいだろうが」

「いやだから、そういう勘ちがいがあるからこそ、いつなにが起こるか読めないとも言えるじゃないですか。現にとつぜんおれんちにまで押しかけてきて、沢田さんのバッグのこと訊いてくるくらいなんですから、拷問されずに帰ってこられたっつっても安心なんかできませんよ。それにあの田口さん、仲間と一緒に動いてる感じだったから余計に気が抜けないし」

「仲間?」

「ええ」

 


 

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